ハイクのコンテストとかタンブラ論争とかポジティブ教とか書評とかすっかり乗りおくれてる。
まぁ書き散らすことがなくなって逆にいいのかもしれない。
はてなRSSとLivedoorReaderはほとんど使わなくなったなあ。メインはGoogleReaderとローカルのRSSリーダー(Vienna)になった。
だんだんと読む時間が圧迫されてきてるなあ。しかたないけど。
というわけで書く時間もどんどん減る2008年なのであった。
ポジティブ教
自分を取り巻く環境への対抗策として、環境の改善に取り組むのではなく、環境に対する自分のものの見方を変えることを示唆する、もしくは求めるような考え方を指す。またこういった考え方への揶揄の意味も含む。
特徴は
- 「考え方ひとつ」で世界は変わる。もしくは変わったように見える。
- 世界は「自分の努力」でなんとかなる。
- 自分や世界を変える方法のひとつは「ポジティブである」こと。
などで、
- ハウツー本的な手軽さ
- 自己啓発セミナー的な「責任のありかを自分にだけ求める」姿勢
などとも共通することから、これらのもの全般に蔓延する思考と見ることもできる。
ここまで書いて、キーワードが登録されてるのに気付いてやめた。
初出は不明だけど、言葉自体は2005年頃からあるっぽい。
あと自己啓発系セミナーですでに使われているらしいのに笑った。
ポジティブ教にしろネガティブ教にしろ、そういった思考の根っこにある
という考え方は問題を簡単にしすぎているように思える(「ポジティブか否か」「努力か否か」らへんは思考を導入するためのテクニックにすぎない)。簡単なのはいいことかもしれないけど、それは簡単なコトガラについての話に限る。
問題を簡単にしすぎることの弊害はもちろんあって、
ということではないか。んー、わかりやすく書くと、
とか。ポジティブ教そのものについて言えば
みたいなものか。
「シンプルなものは美しいがゆえに正しい」みたいな「わかりやすいルール」がそのまま用いられるのはごく一部での話。それをいくら集めてきても、複雑に絡みあった問題には対処できるようにならないし、足かせになりかねない。問題解決のために、足かせはないほうがいい。
しかしポジティブ教で「目から鱗」な感動をしてしまうひとというのはすでにポジティブ教的な思考*1にヤラれているのかもしれないなあとか思ったり。
*1:「世界はもっとわかりやすいはずだ」みたいな。