Hatena::Groupbearhand

しなちょうメルクマール

title_banner
Subscribe with livedoor Reader  はてなRSSに追加  はてなアンテナに追加 [log] [顔icon] [ココロンicon] [コラ!バナ]
[人気エントリ] [熊手人気エントリ] [寄稿しました→ SNSの研究 ]

about this site

■info

ここは【シナトラ千代子】の餌場(略してオレオレ断片部)。
わかりにくかったり説明不足だったりするので注意。
バナーの熊はmorguefile.comから。上の[log]からarchiveへ。そして昼ご飯へ。

071023 【ベアハグハグ】と【秘芸ちょう】のログを統合。

 | 

20071214Fri

[]「テキスト耐性」とはなにか 19:08 「テキスト耐性」とはなにか - しなちょうメルクマール を含むブックマーク はてなブックマーク - 「テキスト耐性」とはなにか - しなちょうメルクマール

つづき。

前々回→http://bearhand.g.hatena.ne.jp/wetfootdog/20071211/1197369807

前回→http://bearhand.g.hatena.ne.jp/wetfootdog/20071212/1197453746

(↑あ、リンク忘れてた。あとで書く)

前回は

「実話としたらすごい話」「創作ならどうってことない話」というものの差はどのへんが決めるのだろう。

と書いた。

しかしながら「創作ならどうってことない話(ダメ)」ではなく、「創作ならこんなものか(まあまあ悪くない)」かもしれない。ざっと眺めた感じでは、感想はこんなところなのだろうと思った。


で、「実話としたらすごい」という感想に至るとしたら、読み手の読み方としては

  1. あらかじめ読み始めるときに実話と思ってよみはじめる
  2. 途中からだんだん実話だと確信して読み進めていく
  3. 読み終わって、最後に実話と判断する

とりあえずこの三つがあるのではないか。逆にわたしの場合は「あらかじめ断りがなければ読み始めるときに創作と思って読みはじめる」ことが多い。


これらの読み方のうち、数字が多いものほど「実話かどうかの迷いが多い」ということになる。

2や3については、その結論は書き手のなんらかの力によるものだろう。このあたりの力は前にも書いたような「叫び」が作用したり、「うまく書いてしまう」部分が作用したりするのではないかと思う。


ただ、慣れてくると「うまく書いてしまう」部分、つまり創作っぽくなってしまうところ——あるいは、想像でモノを言うならば、慣れた書き手がノってきてつい筆を滑らせてしまったようなところ*1——は見えてくるので、そこが面白いテキストにつながっていくのかどうか、というふうには見るけれど、そのまんまつるつると呑みこんでしまうことはない。

けれども、そこでテキストを読みこみ慣れていないひとというのはいるわけで、そういうひとはその部分がつるつると喉を通ってしまうのではないか。そうすると、全体に、炭酸飲料みたいな感じでインパクトというか、余韻みたいなものばかりが残るのかも、ということは考えられる。


「叫び」の部分については、たぶん、「うまく書く」ことから離れたところにあって、お互いに干渉しつつ反発するようなもので、ここがもっとも読み手にダイレクトに響くところかもしれない。けれども、「叫び」の文章は往々にして思いつくままに書かれていたり、支離滅裂だったりするので、わりと読みにくいことが多い。だから、そういった「叫び」ばかりのテキストがあっても、「みんなが感動する文章」にはなりにくいかもしれない。


「叫び」とは書き手が読み手を意識する余裕がないほどだから、そんな文章になるわけで、ここで読み手を意識し始める余裕が出てくると、「うまく書く」へとつながっていくのだろう。「うまく書く」ことにはちょっとした疑わしさというのがある、というのは、このへんによる。逆に言えば、剥きだしの「叫び」には「実話」を感じさせる力がある。


なんだかそんなふうに考えると、ケータイ小説の「飾らないリアル」というのは「うまく書いてしまう」部分の排除、つまり剥きだしの「叫び」のことではないのかと思えてくる。

もちろんケータイ小説の書き手にはあらかじめ「うまく書いてしまう」力が備わっていなかったのだから、その部分が排除されたなんてことはありえない……というふうにも見えるのだけれど、おそらく編集者はそのあたりを巧妙に計算してほとんど手を入れないことで(誤字すら残して)、整った部分——「うまさ」へと繋がる部分——を排除している。

しかし実際にそれが「叫び」なのかというと、そこに取り入れられている「ストーリー」という「うまさ」を考慮しなければならない。

というわけで、長くなりそうなので、ケータイ小説についてはここでやめておく。

二点だけまとめると、

  • 「うまくなる」部分はあらかじめ排除されているとしたら、おそらくジャンルとしての進化は限界があるのではないか
  • 残されているのは「ストーリー」の洗練(うまさ)だが、複雑なストーリーを書くのは「文章としてのうまさ」を排除されている以上、やはり限界があるのではないか
    • 単純なストーリーには限りがある


さて、三つの読み方、に戻って。

ここまで、2、3は文章の力によって「実話」ぽく思わされるのではないか、みたいなことを書いた。

では、1はどうして実話と思って読み始めるのだろうか。

で、長くなってので、つづきはまた後日。

[えー]

*1:これについてはidiotapeさんも認めていたけれど、あながち妄想ではない。

 | 
banner icon 点取り占いブログパーツ この日記のはてなブックマーク数