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しなちょうメルクマール

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ここは【シナトラ千代子】の餌場(略してオレオレ断片部)。
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071023 【ベアハグハグ】と【秘芸ちょう】のログを統合。

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20071212Wed

[]「テキスト耐性」はあるのか 19:02 「テキスト耐性」はあるのか - しなちょうメルクマール を含むブックマーク はてなブックマーク - 「テキスト耐性」はあるのか - しなちょうメルクマール

昨日のつづき。

さて、おれの「とりあえず創作として読む」という態度はどういうことだろうか。自分で言っておいてアレだけど。たぶんリアルであるかはどうでもいいというか、ある程度は「叫び」と「テキストの手癖」を分離できるという気分があるように思える。慣れというか。けれどもそれよりは「感動とかどうでもいい」というほうが念頭にあるぽい。

「感動を誘うようなテキスト」というのは(おれにとっては)たいてい嘘臭い。なぜなら、「泣ける話」はたいていそういうふうに出来ているから。巧い具合に作られている、と言い換えてもいい。そういうのはだいたい透けて見えてくる。そしてその嘘臭さは「実話かどうか」で一意に決まることでもないので、実話かどうかはやはりどうでもいい。実話というのもたいていは創作なんだし。


といって「泣ける話」には意味がないということが言いたいわけではない。おれとしては「実話かどうか」という部分が感動と密接につながるかのような「なんだ創作か、がっかり」な感想を見聞きして、実話であることのウェイトってなんだろうなぁとか思ったということ。

  • 実話としたらすごい話
  • 創作ならどうってことない話

というものの差はどのへんが決めるのだろう。


ブクマとかで「泣ける話」が人気なのは、みんな泣ける話とか感動する話に弱いのではないかと思うことがある。実態はどうなのかわからない。「泣ける話で泣ける」ということと「泣ける話を受け入れる」というのは、なんかどっか違うんじゃないかという感じがある。


あと関係ないけど

ネットでは「読まずに闘う」みたいな論戦というか議論というか、そういう空気はあるよね。

「テキスト耐性」についてはまたあとで。

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