インタビューズについて、おもにTwitterのなかでの反応を眺めてみた。
今のところ、以下のように分類してみた*1。
ユーザーを大別すると「質問が楽しい」派と「答えるのが楽しい」派にわかれるようなので、このバランスがうまくとれてるあいだはひとが集まりそうだと思った。
今のところ「読むのが楽しい」派はあまり大勢に影響与えないかも。
例によって「質問のときは〜するのがマナーでしょう!」みたいなローカルルール厨が出てくるのは時間の問題かもしれない。
あと「プロや著名人が答えてて云々*2」については、平野耕太氏のツイート*3
インタビューズ、嫌な質問には答えなければいいんですよ、というリプライが来たが、間違ってる。悪意は、伝達する事が目的の全てで、それ以外は付録だ。
が端的に語ってるような気がする。
つまり「そういう悪意に対して悪意で対抗できる心臓毛むくじゃらな著名人」は残るのではないか、ということ。Twitterと同じですね。
リンク先にあったような
というのと
というのとではモチベーションも微妙に異なるだろうし。
今のインタビューズは「黎明期の光明」に包まれている、「Webサービスにとっての一番いい時間帯」なのかもしれない。ある時期のはてながたぶん、そうだったみたいに。
わたし自身は「べつにTwitterでいいんじゃね」って思ってるのでまだ登録してないです。
*1:こういう書き方をすっかり忘れているのでかなり適当です。
*2:●在りや - インタビューズに見える善意にあふれた無料社会 http://imoni.org/textpattern/2011/09/07/text20110907
*3:削除済み
はてな記法にTwitterのツイートを並べるの、あったっけ?
あったらここにログを入れとく(あとで探す)。↓入れた。
@wetfootdog: ものすごくざっくりしたことを言うと、文章うまくなりたいひとはネットに書かないほうがいい
@wetfootdog: (ここで言ってる文章ってのは小説的なもので、エッセイとかレビューとかそういうのとは違います)
@wetfootdog: 理由はだいたい3つあって、ひとつは読み手の問題、もうひとつはネットというものの問題、最後は「上がり」という感覚の問題
@wetfootdog: ひとつめ、読み手の問題。文章がうまくなるかどうかというのはそれが相手に伝わりやすいかとか読みやすいかとかあるわけで(面白くなるかどうかはまた別の話題)、そのために読み手が必要になる。読み手に要求されるのは「その文章についてめんどくさがらず、お世辞抜きできちんと指摘してくれるひと」
@wetfootdog: で、ネットにそういう親切なひとがいるかというとまずいない。それにネットの知人というのはふつう「細かく、厳しく」指摘してくれない(時間も手間もかかるし、人間関係壊したくないから)。
@wetfootdog: それなら身近に探すか、いなければ「自分で自分を読む」練習をしたほうがいい。
@wetfootdog: えーと、ネットの問題。ネットにアップすると、反応が気になる。でもこれが長文だと思ったほどの反応はないし(むしろ苦労して書いたわりに反応は薄い、だってみんな長文読まないから!)【つづく】
@wetfootdog: 【つづき】ブクマでお世辞みたいなコメントがつくだけだったりするので(いや面白ければそんなことはないんだけど、最初からうまく、面白く書けるひととかいないし)、そこでメゲてしまったりする。リアクションがない、あっても薄い、というのがネットの問題。
@wetfootdog: まぁこれはひとつめとも似たようなものだけど、ざっくり言えばひとつめは「批評」ふたつめは「反応」かなぁ
「上がり」の感覚っていうのはつまり、ネットに上げてしまうことで「あー終わったな」という感じになってしまう、その「終わった」感じのこと。
ネットに上げる前にすでに他人(あるいは自分)の批判にさらされた上で作品として満足いくまで仕上げているのならともかく、そうでない場合、ほんとうはそこからが「仕上げ」の段階なのだけれど、いったんネットに置くともうそれ以上あまり手をつける気にはならない。
blogの記事、あとでちょこちょこ直すひとってあんまりいないよね? 誤字脱字だけじゃなくて、ひとつのエントリに加筆とかどんどんしていくひと、あまりいない。
ほんとは字数や時間の制限がないんだから、どんどん加筆していったっていいのに、あまりやらない。なんでだろう。
それはたぶん、ネットっていうのは「ずーっと置いておける場所」であるとともに「またたく間に消費される場所」なので、自分のテキストでさえ、すこし経つと「すでに消費されたもの」として見なしてしまうからではないか。
これは変な言い方だけど、ネットにテキストを上げることで「自分で自分のテキストを消費した」と言えるのかもしれない。
「途中の状態、完成形じゃなくてもいいからどんどんネットに上げて評価を聞いて……」みたいなのがWeb2.0(笑)みたいなネットのスタイルかもしれないけど、そういうのがうまくいくところ、ほとんど見たことないんだよなぁ(仕事がらみとかならまた別だろうけど)。
で、あるまとまったテキストをネットに上げる、そういう行為によってそのテキストに終止符を打つよりは、もうすこし見直したり、手を加えたり、あるいは見限ったり、ということをしていったほうがいいんじゃないか。テキストにつき合う、というのはそのあたりが重要なのではないか。
もちろん見限る手段としてネットに上げる、という手もある。なので、ネットに上げること自体は否定しないけれど、それを目標にはしないほうがいいという気がする。
いや、3つ並べるとたいした理由ではないなとも思うんだけど、一番大事なのでひとつめの問題で、そういうところでまじめに付き合ってくれる友だちなり自分なりがいないと、つまり「よい読み手」がいないと文章ってうまくならないよと。
そしてそれをネットに求めるのは、現実にはなかなかむずかしいのではないか、ということ。
さらに、ネットを目的にはしないほうがいいんじゃね、ということ。
中国の高速鉄道がらみで相反する記事が出て。
●asahi.com(朝日新聞社):中国高速鉄道、ほぼ満席 絶えぬ「速さ」求める人たち - 国際
→http://www.asahi.com/international/update/0730/TKY201107300420.html
●中国「新幹線」空席8~9割 急速に鉄道離れ :日本経済新聞
どっちやねん、という話。
これ、朝日のほうは事故現場を含む路線の話で
上海まで1等席が219元(1元は約12円)で、正規運賃だと千元を超える飛行機より大幅に安く、長距離バスと大差ない。
つまり温州−上海路線の話(たぶん永嘉から上海)。
事故が起きたのは寧波と温州のあいだ、温州よりのところ。

http://www.asahicom.jp/international/update/0724/images/TKY201107230749.jpg
なので、上の図の赤いところ+上海までの路線の話。
ついでに全体図(古いけど)

http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kotsu/bunya/railway/china-zu.gif
で、日経のほうは
29日午後の上海虹橋駅。6月末に開業したばかりの北京までを結ぶ最新型の高速鉄道「中国版新幹線」の乗客はまばらだった。
という、全然ちがう上海−北京路線の話なので、違うのも無理はないというか、こっちは競合する空路がかなりディスカウントしてるらしいし。
記事通りに解釈すれば、事故が起きた路線は満員、新しくできたほうの北京上海路線はガラガラということに。
まぁすでに安価な交通手段として定着している事故路線のほうは簡単には客が減らないし、空路との競争にさらされてる新規路線は事故の影響をもろに受けた、というだけの話なのかも。
批判ではなくてただの感想。
ネットで時間と距離の差はフラットになるのかもしれないけど、頭のなかはフラットにならないよあそう簡単には。